京都のよく行くとこ

旅について思うことをかつて僕は以下のような側面から書いた。


http://d.hatena.ne.jp/paris-rabbit-san/20080209


行きたいところは無数にあるが、仮にあるひとつの街に足を運んだときに、
その無数に残っている「行きたいところ」の選択肢を飛び越えて、
また再訪してみたい街として考えられるか、という問いはそれなりに重要ではないか、と思う。


かく言う僕もかつて3週間の旅をした北欧の街にまた行きたいと思う。
イタリアだっていいって言うし、ニューヨークだってとてつもない新鮮さで
迎えてくれるに違いない。
しかし、再訪の旅はかつての古い記憶というフィルターを今の街に当てはめ、
さらに自分自身の変化というフィルターをもかけると、そこには行ったことがない街に
行ったときと同じくらいのある種の新鮮さ、があるのではないか、ともまた考えるからである。




今日は京都で行くべき場所、について考えてみたいと思う。
京都に少しばかりいた、ということを言うと「どこかいいところはありますか?」と聞かれることがある。
とはいえ、そう問う相手のことを考えると、何を挙げたらよいのか本当に迷ってしまう。
でも何かしら伝えたい、と思う。そして腹をくくる。
みんながいいと思うなんてのは幻想であって、どう間違ったっていいから自分の経験のなかでいい、
というものを伝えることの大切さ再確認しつつ。


まず、本屋。
本屋の魅力は大きく2つに分けられる。
あらゆる本を網羅的に置く、という流れ。ジュンク堂やネット書店のアマゾンの方向性。
編集的に本を配列し、棚をつくった店主のある知とある知との意外な、あるいは当然なつながりを見せていく、という流れ。
京都にはこの後者にあたるよき書店が存在する。
この本の隣にあの本を置く、という批評性を堪能し、感心し、満喫する場としての、「恵文社
二条寺町上がる、の「三月書房」の濃密な小宇宙を眺める


手紙屋。
うつくしい字が書けない以上手紙そのもののうつくしさにはこだわりたい。
というわけで以下の3つを。
鳩居堂」よりも「嵩山堂はしもと」を推す
writing shopで花恵さんとお話
ココン烏丸の唐長は一応


カフェ。
時間による熟成は店主を含めた店内空間を確実にデザインしていく。
そして京都はやはり歴史の街であることを再確認しつつ、
さらに鴨川を含むロケーションの魅力も大きい。
というわけで以下の3つを。
イノダコーヒ本店」、たまに三条店のカウンターでも
六曜社」のコーヒーとドーナツ、あるいは、ロールケーキ
とてつもなく晴れた気持ちよい1日は、五条鴨川沿いの「エフィッシュ」で東から吹く風を受ける


おやつ。
清水寺に行く道すがら、二年坂の「かさぎや」にてあんこ大盛の亀山、紫蘇の実、お茶という順で
四条河原町の小路を進み、「月ヶ瀬」に入り、あんみつを食し、バナナの固さと甘さのほどよさを堪能す
出町柳商店街にて行列してまで「出町ふたば」の豆餅食べる喜び



もちろんこれ以外にもありすぎるほどにあるわけだが、とりあえず。
今回ごはん処はあえて割愛した。
また時間が許せば、書き加えていきたい。