おへそのココチvol.2を終えて

paris-rabbit-san2007-11-21

天気予報のとおり、冬へのスイッチがカチッと鳴ったのが聞こえた。
大雨、ではないが、強風がぴゅーぴゅー吹くような天候となる。


前日までにテーブルや椅子の配置を含めた準備は整っているはずであった。
しかし、まだまだな部分がたくさんあった。     


臨機応変は計画性のなさの言い訳として使ってはいけない。
そのときの未知をできるかぎり既知に取り込んで、そのでもなお残る未知に対して
臨機応変に対応することが誠実な態度と言えよう。
もちろんすべてに対して「想定内」と言い続けることとも違う。
頭のなかだけでクルクル回していても出せないような、
色んなシチュエーションを実際に経験し体感しないとわからないことが
この世にはあるのだ、ということに気づけることがうれしい。


来場者の方々に書いていただいたアンケートを見ながら反省する。
90%くらいの人が「とても満足」(5段階最高ランク)に丸をつけてくれた。
おかげさまで「ちょっと残念」「もう御免」への丸はなく、「まぁまぁ満足」「ふつう」に
数名の丸があった。
さらにそこには要望として
・予約システムがわかりづらかった(どれが必要で、いつ入れたたらよいのか?)
・カフェスペースの椅子が足りず、もっとスペースを増やしてほしい
とあった。


広めとはいえ美容室としての限られたスペースの配分がむずかしい。
コンテンツを増やせば、必要とするスペースが増え、カフェスペースの確保はむずかしくなり
コンテンツを減らせば、カフェスペースの確保はできるかもしれないが、イベントとしての
多様性みたいなものがなくなってしまう。


それからこういう声もあった。
・もうすこし全体的に料金を抑えてほしい


それは僕も安い方がいいと思う。
ただ仕事の評価として支払われる対価がそれぞれの方々の生活の一部となっていることを
忘れてはいけないのではないか。
僕は今回のパンフレットの冒頭に説明として以下のようなことを書いた。


「手から生まれるモノ」

新潟の「おへそ」である県央にはたくさんの
世界的な「手」の使い手がいます。

ドイツではそういう存在を「マイスター」と呼び
多くの国民から尊敬のまなざしを送られています。
かたや日本では「職人」と呼ばれていますが、
まだまだ「手しごと」に対する評価が適切に
なされているとは思えません。

あらゆるものは「手」で作られ、「手」で届けられ、
「手」で受け取られます。
それは、モノに限ったことではなく、
ぬくもりや温かみ、あるいは心地よさというような
感覚的な質感も含まれるものです。

今回の「おへそのココチvol.2」は
「手がなせることの多様さ」とそこから生まれる
「心地よさの多様さ」を感じていただけたら、
と思っております。

どうぞお楽しみくださいませ。


それぞれ多様な価値観があっていいと思うし、正しい価値観なんてないのかもしれない。
ただ、僕にとってあまり過小評価してほしくないな、という思いがあるし、
その過小評価をし続けると、その提供者たちはそれがこのあたりの地域性である、と解釈し、
この地を離れることになってしまうかもしれない、ということを多少は意識する必要があると思う。
それは少々高くてもフェアトレードの製品を買うことによって
生産者(作り手)の生活や喜びを意識し、適正なものが購入され、評価されることこそが
この絶対的な正解ではない資本主義社会のバランスをとることに必要であろうということに似ている。


最後に、イベント開催に賛同してくださって集まってくれたみなさん、
そして、寒いなか足を運んでいただいたお客様に感謝申し上げます。
それからパリスラヴィサントスタッフとボランティアスタッフ(ノアノアチーム)にも感謝します。
「美容室でこんなことやるなんておもしろいですね」とお客様に言われるくらいだから、
美容師自身も「なぜ休日返上で美容室でこんなことやるんだ」ということが腑に落ちていないスタッフもいるかもしれないけれど、
それに適切で納得する説明をやりきれていないことは僕の力不足でしかない。
この場を借りて謝りたい。
「ごめんなさい」



「こういう経験をしておくときっといつかいいことあるよ」と僕が言うと
「どんな?」とすぐさま返されるだろう。
おそらく今の僕としては次のように答えるしかない。
「いいことがあるからやる、とか、やらない、とかいう考えから解放されることだよ」
なかなか伝わりはしないのだけれどもね。