column0712


とある日、美容室に髪を切りに行った。
ほとんど髪を切り終わり、アシスタントのハマさんに代わって
彼にシャンプーをしてもらいながら、「これから」についての話をした。


美容師としてやっていくこともとても大切なことのひとつなのだけれど、
家族との時間も同じくらい大切にしていきたい、と言っていた。
こういう価値観、というかプライオリティを持つことはかつては珍しかったの
かもしれないのだけれど、いまはどうなんだろう。
特に女の子だったら思うのだろうし、ハマさんのように男の子でも
そう思うってのは時代なのかなぁ、と思った、
別に奥さんが働いてくれるんだったら、専業主夫でもかまわないと言っていたし、それを
周りがどう思おうが知ったことではないよ、ととてもたのもしいコメントだった。


僕はここで今まではありえたかもしれない一言を禁句にしなければ、と思った。
だったら、美容師になんかならなきゃいいんだよ、という一言をね。
ハマさんとオーナーさんには、
美容師ってのはすべてを捨てて美容に注ぎ込んだ人だけが生き残れる世界なんだぞ、
というところに例外的風穴を開けてほしいな、と思った。(もちろん僕もキリを持って参戦するぞ)
もちろん、すべてを注ぐ時期が不可欠だってことは認めるけれども、
すべてを犠牲にすることの勇敢さをあまりにも過大評価するのは、
その犠牲になったモノ・ヒトの軽視だってことを忘れてはならないんじゃない?


とはいうものの、時間とエネルギーは限られている。
村上春樹が『走ることについて語るときに僕の語ること』のなかで
時間とエネルギーの振り分け方を自分の中にきっちりとつくっておかないと、
人生は焦点を欠いたメリハリのないものになっていまう、と言っていたことを思い出した。


最後に彼は言った。
死を目の当たりにしたときに「おれの人生に後悔はなかったよな」と自問自答し、
素直に「なかったよ」と答えたいんですよ、と。


常にその時点から今を俯瞰できるハマさんのbird's eyeに僕は一瞬鳥肌が立ちながら、
いずれにしてもハマさんはしあわせになるな、ということを確信しつつその場を後にした。