1時間の早起き>1時間の夜更かし という実感

先週から新人さんのシャンプーの朝練で7時半にお店に集合する。
いつもより1時間早い出社。
うかつにもシャンプーされながらうたたねしそうになる。
しっかりとどうだったかを伝えなきゃいけないのに、である。


今日6月8日日曜日の朝練はおやすみ。
だからちょっとたくさん寝られる、と思ったけど、
リズムが崩れることを考慮し、同じく7時半に出社。
パソコンの電源を入れつつ、湯を沸かし、コーヒー豆を挽く。
朝日新聞の読書欄を眺めながら、挽いたコーヒー豆にゆっくりと
湯を注いでいく。
新鮮な豆はプクプクとまるで呼吸をしているかのようにふくらんだり、
しぼんだりしながら、コーヒーをつくっていく。
とてつもなく充実したひととき。
鶏が鳴かなくなった今、こういったルーティンを繰り返すことが自分に朝を
告げることなのかもしれない、と思う。


まだみんなの出社時間に早いそのときに20歳年上のスタイリストが出社する。
練習をするつもりだったが、遅れてしまったので、昨晩に準備していたものを
片付けに来た、という。
僕はちょうど余ったコーヒーをちいさなカップに注いで、それを「どうぞ、よかったら」と渡した。
彼女は隣のパン屋に行ってチョコチップが織り込まれた一斤のパン、それも焼きたてのものを
切って僕にくれた。
焼きたてのパンは切ってもらえないから、とお店にある切れない包丁でパンをつぶしながら
切ってくれた。
僕は「ごちそうさまです」と言って大きく切られたパンにかぶりつく。
作りたて、はやはりなんでもおいしい(作りたてでないと、それなりであっても)
なかのチョコチップがパンの温かさで溶けてほどよい甘さが口の中に広がる。
朝食を食べてきた僕は半分を食べ、半分をあとでいただくということで机の紙の上に
おもむろに置いた。
窓から差し込む光でパンがとてもうつくしく見えた。

↑今日の昼食の一部となる予定のパンの食べかけ


いつまで続けられるかわからないけれど、早起きは三文の徳、とはそのとおりであるな、
と実感する。
夜更かしする1時間と早起きする1時間の充実度の違いたるやものすごいものだ。


来週もシャンプーの朝練がある。
再来週は朝練はない予定。(新人さんが合格したら、の話だけれど)
再来週からほんとうの勝負が始まる。