益子の旅

益子はマシコと読みますが知ってますか?
僕は益子(マスコ)直美しか知らないからマスコくらいに思っていました。
別に栃木のとある土地の名を知っていてもいいことがあるわけじゃないのだけれど。


アメリカの大統領選挙のおかげで、みんなもう1回アメリカってどんな国なの?ということを
考え始めているようだ。
僕もその流れで『アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない』という本を買った。

アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない (Bunshun Paperbacks)

アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない (Bunshun Paperbacks)


すごい題名だけど、これは益子の場所を知らないなんてかわいいもんだよ、というために
持ち出したわけではもちろんないわけで、
とはいえ、これをうまく理解しようとすると、アメリカ人の半分は州がひとつの国としてあって、
アメリカそのもので世界が完結していて、その外部には無関心なのではないか、
と勝手に読み替えたりして、それは2割しかパスポートを持っていないことが証拠だ、なんて、
あてにならないことを言ったりもしている。


糸井さんはこれを読んでいるのだとか。


みんながアメリカをもっと知って、そのへんてこさを楽しみたいのだな。
アメリカってとらえどころがなさすぎるから。





いえいえ、僕はアメリカのはなしをしていたのではないのです。
益子に行った、ということが言いたいのです。
忘れないうちにまずそのことを言っておきたい。


スターネットというカフェとショップとギャラリーがいっしょくたになったとこ、に
どうしても行きたくて。
http://www.starnet-bkds.com/
ほぼ、そのためだけに、行った。(ニイガタから5時間かけてまで)





あるとき田舎くささ、が、うるわしき香り、に変わる、とすると、
その触媒となりうるものは何か?
という答えを探すために。




自然・時間を最大限に慈しんだあと、そこにデザインというスパイスを振りかけると
そこにその触媒の原型みたいなものが立ち現れる。
僕はそんなふうに理解した。




僕はその触媒をこのニイガタの地につくれないものか、と常々ないあたまをしぼって考える。




田舎を心から愛する、ということが都会的な考えであり、
都会に心から憧れる、ということが田舎的な考えである。




世の流れをしめす時計は明らかに一周したのだ。