イベント開催とビジネス運営の共通性について

ある出来事を数日前のことのように思う、ということと、
遙か昔のことのように思う、ということにはどんな違いがあるのだろうか、ということを考える。
単純に言えば、よき思い出は前者のように近しきものとして脳に収納され、
あしき記憶は後者のように引き出しの奥の奥に入れられる、というふうに
人間の潜在的な知恵として機能している
と捉えることもできるだろう。


おへそのココチvol.3が終わって2週間が経とうとしている。
多くの方のおかげで3回も続けることができたということは言うまでもない。
関わっていただいたみなさんほんとうにありがとうございました。


ここですこしこの「おへそのココチ」というイベントを僕のなかで整理してみたいと思う。
3回やってみた今はそういうことをするのにとてもふさわしい時ではないか、と思うからだ。


たいへんなことはいっぱいあるけど、その多くは以下のような成分でできているように思う。




わからない、気づかない価値観をお伝えする機会をつくりたい、という思いは、
わからない価値観はわからないのだから、わかりやすい価値観を伝えないと来てもらえない
という矛盾的状況にぶち当たることとなる。


つまり、聞いてすぐにわかる「占い」(というイベントにおける女性集客キラーコンテンツ
を呼び水として
ずっととっておける、という経済性は生花に比べ少々さもしいけど、
これはこれとして美しいプリザーブドフラワーなるものがあるよ
であるとか、
東洋医学的な見地に裏打ちされた「漢方」という処方箋も
西洋医学によって薬漬けにされるまえに知っておいたほうがよいよ、
であるとか、
ジャズやボサノヴァを浴びるように聞くというのは
CDでは味わえない身体性を経由した気持ちよさがあるよ、
であるとか、
を伝えたいと思っていたのだけれど、
気がつくと、その呼び水がイベントの大半をしめていたような、
そんな本末転倒感があったりする。


手段と目的が倒錯する事態とはまるでビジネスのときのよう。


そのむずかしさがわかっただけで、やったかいがあった、というものなのだけれど。




「次回も行きますね」なんて言われるとちょっぴりつらくなる秋の夕暮れ。




(ちなみに、もうやんない宣言、ではないよ)