多様な正解を目の前にして

数年前から昨年にかけて、お付き合いさせていただくことを
うれしく思える美容室経営者たちと出会った。
もちろん彼らに刺激を受けて、自店の経営にいかす、
ということがあればいいことは言うまでもないけれど、
出会いそのものをありがたく思える、そんな出会いであった。


その中の2人は昨年、それぞれ万代、古町に2店舗目を出店した。
時間の流れへの敬意を感じさせるとても心地よい空気が漂うお店、として。


先日も、そのひとつのお店の勉強会に参加させていただいた。


とことん技術志向だった美容師が、一番大切なのは技術ではない
(もちろん大切な要素ではあるけれど)
と言うことの強さ、を感じないわけにはいかなかった。
人間性の追求、さらに信頼に裏打ちされたチームワークへと向かう志向性。
ひとつの美容室、美容師のあり方、生き方として、とても魅力的であり、理想的でもあった。



去る2月6日、また別の美容室経営者が笹出線沿いに移転オープンを果たした。
その前日、強く雨が路面を叩く夜にお花を持って駆けつけた。
そして強い衝撃を受けた。
(その晩、ベッドに潜り込んだらすぐ寝る僕がなかなか寝つけなかったほどだ)


営業面積が100坪だから、ではない。
すべての席がまるで扉のない個室のようで、スタッフはインカムで情報を伝達する、からでもない。
ヘアエステ専用3席、ヘッドスパ専用2席、さらにネイルスペースがある、からでもない。
予約電話でカルテがポップアップし、円滑でスムーズな受付ができる、からでもない。


その衝撃の理由をゆっくりと考えてみる。


デザイナーとして美容師が演出という顧客満足化手法を好まないところに
ある隙間を突いていく、という戦略。


美容師はこだわり抜いたうえで本質を志向する。
過度な演出を嫌う、と言い換えてもよい。
演出とは、本質以上にお客様に見せたり感じさせたりする、
あんまりすすめられない手法、という捉え方が多分にあるのかもしれない。


ただし、その本質のすべてをお客様が理解し、受容するわけではない。
お客様は本質を見抜く能力があり・・・。
もしそうであるならば、演出など必要ない、ということになる。


僕は美容師と医者ほどこちらとお客様(患者さま?)との知識レベルが違うものはないように思っている。
ここには演出(象徴価値的要素、と言い換えてもいい)によって本質が大きく増幅されていく余地がある。
たとえばプラシーボ効果(偽薬で症状が回復に向かうような)は演出(信頼も含めた)の効用を示す好例だろう。



やはり、顧客満足を志向しつつも、自己満足に傾倒してしまうデザイナーとしての
側面がないことはない、のではないか。


毎日夜遅くまでトレーニングをして、腕を磨き、お客様に喜んでいただこうとする
その姿勢はとても美しい。(その美しさは尊敬に値する)


でも本当にお客様はそういうことを望んでいるのだろうか?ということは
一度考えてみたほうがいいのかもしれない。(その美しさに酔ってしまうことはないのだろうか)


そんなふうによき美容師であること、のためのトレーニングが、お客様の満足よりも
デザイナーとしての能力に引きつけられてしまう、というそのズレを彼はもう一度
顧客満足にまっずぐに向かうように戻していく、ということをしたのではないか。


「必要な(お客様に伝わる)こだわり」と
「必要のない(お客様に伝わりづらい)こだわり」に分ける、
という作業を踏まえて。


さらに、そのために考え抜かれた空間とシステムを利用することによって。




ロマンがない、というふうに一蹴することはデザイナーにとってたやすいことかもしれない。


しかし、僕が見るに彼には十分すぎるほど壮大なロマンがある。
ロマンの捉え方、が違うだけ、であって。


ここまで読んでくれた方で、言っていることがわからないというあなたは正常だとおもうから
心配なさらないで結構です。
僕もまとまりきらないものを、なかば強引に書きつけているだけなのだから。



最後、繰り返しになるが、近いところに心から尊敬できる方々がいることに感謝します。
僕がいかに中途半端かをいつも教えてくれるから、本当にありがたいです。




付記
舌の根の乾かぬうちに、ちょっと言い忘れたことを。
ナガオカさんが言っておられる、
http://web.d-department.jp/blog/2009/02/99.html
こういうデザイナーの気持ちは大好きです。


そう思うと、僕はデザインはできないくせに、デザイナーの気持ちに強く共感する、
だからといって、マネジメント手法に長けているわけではない、
まさにプロフェッショナルから一番遠いとこにいる人間なのですね、はい。