矛盾を愛する人

最近あたらしいMacBookってすごいな、と思った。


先に言っておくけど、MacBookという言葉をこれから連呼しようと思っている。
なぜならMacBookについてすこし思うことを書こうと思うのだから許してほしいし、
そんなの聞きたくないやい、という方はここで引き返すのが賢明、と言っておく。
ではなぜMacBookについて言いたいのか、と言えば、
素人の僕にはMacBookProとの違いがほとんどわからないほどに
進化している気がしたから、なのだ。


かつてMacBookiBookと言われていて、MacBookProはPowerBookと言われていた。
名前もぜんぜん違っていたし、見た目だってぜんぜん違っていた。
前者はプラスチックだし、後者は金属(今はアルミ)だった。


その差(違い)を確保しようとしたら、MacBookPro ってどこまで進化しなきゃいけないんだろう、
って思って、そう思ったら、MacBookはあそこまで行かなくてもいいんじゃないか、という意見は
なかったんだろうか、と思ったし、でもAppleってもっと壮大な戦略があるんだろうな、と思いつつ、
まずMacBookをあそこまでやっておいて、それからMacBookProの立場ってものを、自分たちとしても
いまだに決まり切っていないあり方ってものを、MacBookで儲けたお金を使ってつくりだそうとしている
のではないか、と勝手に思い込んで、すごいな、とただ思ったというそれだけの話を僕は何行使って
書くのだろう、ということが気になりつつ、書いてしまったことをすこしばかり後悔する。



閑話休題


茂木さんのブログで「プロフェッショナル」の収録でのひと言が載っていた。
http://kenmogi.cocolog-nifty.com/qualia/2009/02/post-af48.html
その日のゲストは牧師で、ホームレス支援に携わる奥田知志さん、という方。
彼は「決断」ということについて次のように語ったという。

「決断するということは、そうでない選択をするということも
可能性として含まなければならない。
機械的に必ずそうするということは、人間の本性にそぐわない。
自分がいったん決めたことと違うことをするということが
なければ、決断ではない」


このアンビバレントな定義がぐっときますね。
本当のことってたぶんそういう感じなんじゃないか、という気がしてきます。


2月は28日しかないからか、ことのほか早く過ぎる。
今年分の雪はすべて降りきったものと信じつつ、3月を迎える。