黒いカタマリをかじりつつ思うこと

深夜2時になろうとしている。


「黒糖かりんとう」を気をつけながらつまんでは茶を飲み、また手近にある本に目を落とし、
ときおり、菓子袋の裏に書いてある1袋あたり647カロリーという表記にギョッとして、その袋を
すこし遠いところに追いやるのであるが、また手持ちぶさたというか口寂しさで引き寄せ、黒い物体を口に運ぶ、ということを
やや後ろめたい気持ちで実行する。
だんだん怖いもの見たさで食べ切ってしまえ、と自暴自棄になりながら、袋の中のかりんとうの数を一応頭の中に叩き込む。
あと3つになってしまったけど、一応チャックをして、明日以降に持ち越す自分を期待するも、3つくらいなら持ち越す必要はないよ、という
もう一人の自分がいたりいなかったり。




ってか早く寝たらいいのだけれど、ここまで、残り3つまでかりんとうを食ってしまった以上すぐに寝てもいいのだろうか、
ということと、起きていたらさらに3つ食うだろうし、それよりはよほどマシではないかということのなかで、迷う。




よりよい結果を期待して何かするとそれが仇になってその結果が現れないだけでなく、より具合の悪い話になる、ということがある。




万代の本屋に行ってあと1,000円買えば駐車料金が1時間無料になる、
というから1時間分の駐車料金420円換算で、1,000円の本が420円引きで買える勘定ではないか、
と勘違いし、1,000円前後の本を探し続けたらさらに1時間近く経ってしまった、
という経験をして以来僕は無料駐車場のある本屋に通うことにしている、
ようなことがみなさんにもおありのことと思うがどうだろうか。




こんな長いマクラを書く予定などもちろんなく、もはや最新号ではなくなったブルータスの「美しい言葉」特集の高橋源一郎が書いた村上春樹論が
とても(とてつもなく)おもしろかったことをまず最初に書き付けておく必要があったのだ。
引用しようとするとあまりに長い、もはや本文と相違ないものになりそうだから控えたいと思うが、どうやらこの村上春樹論は『群像』連載の
日本文学盛衰史/戦後編」最終回予告編だからさらなる詳細は『群像』を待つことにしたい。

BRUTUS (ブルータス) 2009年 11/1号 [雑誌]

BRUTUS (ブルータス) 2009年 11/1号 [雑誌]




あとその号のブルータスの「橋本治の、よくわかる美文講座。」もまたおもしろい、というかこの2つだけでいいかな、という思いすら。
そこには「美文は〜」という箇条書きで8つの特徴が書かれているが、その最後は『8.美文は「自分にはわからない」文章である。」で
締めくくられている。
さらにその最後には以下のような言葉があります。

自分には理解できない文章を読まなければ、知識は広がりません。なんだかわからないけれど、すごくいい、という「前段階」を
自分の中に作っておかないと、どんなものでもマスターできないのです。
(中略)一度美文を通過しておけば、余分なものを思う存分吐き出して、その後はすっきり書ける。
最初から「簡にして要を得た平明な」文章を目指すのではなく、まずは余計なものをくっつける練習から始めてみてはいかがでしょうか。


とても大事なことと思うが、これを伝えることはなかなかむつかしい。
余分なことは冒頭に思う存分吐き出したから明日からすこしはすっきりと平明な文章が書ける気がしてきた。





かりんとうは明日の朝の楽しみにして眠ることにした。
もちろん寝るまえにカロリー摂りすぎということは都合よく失念して。