適切なインタビュアー

朝7時、合宿にて滞在した旅館のテラスで本を開く。
また村上春樹ですか、と言われるので、はい、と答える。

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです

インタビュー集にいいところは、どこからでも読めて、
それでいておもしろい、というところにある。
とりわけこれはその最たるもの。


朝8時、朝食のためにそのテラスを後にする。
村上春樹はとりわけメディアから遠い場所にいる作家のひとりである。

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

走ることについて語るときに僕の語ること (文春文庫)

この本がドイツ語訳された際のインタビューを彼は次のようなことばで終える。

ー 今五九歳ですが、マラソンにはあとどれくらい参加しようと考えていらっしゃいますか。


村上 歩ける限りは、ずっと走るつもりです。僕が墓碑銘に刻んでもらいたいと思っている文句をご存じでしょうか。


ー 教えてください。


村上 「少なくとも最後まで歩かなかった」、墓石にそう刻んでもらいたい。


ー インタビューを受けて下さって、ありがとうございました。


こういう類の返答を僕は国内のインタビューであまり聞いたことがない。
それは、国外メディアに対しては、日本のメディアと比較してかなりオープンな回答が多いように
見受けられることは偶然ではないだろう。
あるいは、海外のインタビューが英語での回答である、ということも大切な要素に違いない。
もちろん『走ることについて語るときに、僕が語ること』がいかに自伝的要素を多く含んだ作品であったとしても、
である。


それは北野武がフランス人記者に数十回にわたって語った作品を見てもわかる。

Kitano par Kitano 北野武による「たけし」

Kitano par Kitano 北野武による「たけし」

自然体でインタビューを受けるためには、理解したいと願う適切な対話者と心を許すことのできる適切な通訳が
不可欠なのである。