コンセプトこそアートだ。

先回のエントリーで僕は以下のようなことを書いた。

リサイクルというゴミが製品に変わるというプロセスにはきっと創作に近いニュアンスがあるのではないか、

とも思うのです。

デュシャンのレディ・メイドのような。

彼(R. Mutt)は日用品を選び、それを新しい主題と観点のもと、その有用性が消失するようにした、のだとすると

その逆の流れ(有用性が復活する)をぼくらはリサイクルと呼んでいる、のだとすると、

その双方にアート的な要素があることは間違いないのではないか、ともまた。


ものが古びても価値が残る方法をお店というものから考える。


僕が注目している2つの大好きなリサイクルショップを通じて。
ただのリサイクルショップじゃない、あり方を考えてみたい。
おわかりの方も少なくないと思うけれど、そのお店とは、
http://www.d-department.com/jp/http://www.pass-the-baton.com/
のことである。(詳細はウェブサイトを参照ください)


2つのお店のコンセプトから一部引用する。


その争いの結果、物は過剰に溢れたり、過剰に消失し、社会にも地球にも負担をかけてきた。
ならば、国や企業を越えて、個人の文化の違いに価値を見出してはどうだろうか。
それぞれ培った個人の文化をお互いに尊重しあい、交換しあう。
新しいものを創造するのもよいし、既にあるものを大事にするのもよい。
(パスザバトンコンセプトより一部抜粋)


新しくものをつくらないことをテーマに、
既に生み出されたものをいかにもう一度使うか、
もう一度欲しいと思うものに戻すか、を考えています。
D&DEPARTMENT PROJECTのリサイクルより抜粋)


ここにいくつかリサイクルというコンセプトを考えるうえでのヒントがある。


キーワードを列挙してみる。
(前者はパスザバトンからくるもの、後者はD&Dからくるもの)

  • パーソナルとローカル。
  • バイリンガルとドメスティック。
  • 拡張性と収縮性。
  • 誰から引き継ぐか、どんなデザインを引き継ぐか。
  • パーソナルカルチャー(ブランド)とロングライフデザイン。


流行への目配せがない、機能がそのデザインのイニシアティブを持っているもの、
言い換えれば、業務用のもの、アノニマスなものなど匿名性のあるもの、が古びるという
経年変化から自由でいられる。
流行は一時的に消費者の欲望に急接近し、やがて急速に離れていく。
人為的であり、作為的な思考がものに宿れば宿るほど、先ほどとは逆に経年変化から不自由な拘束を
受けてしまう。
しかしながら売れるという状況を求められるわけだから、それが流行への目配せをさせずにはいられないという構造が残存価値のあるデザインを少なくしていく。


あるいは、どういう人が選び、使い続けてきたものかというような「個人の文化」を引き継ぐ視点が
古びたものを価値付けする。
たとえば、フリーマーケットやオークションにおける価値変化について。
出品者を知る前と知った後、「モノ」の価値は、変化したか、ということ。
人それぞれが持つパーソナルカルチャーによって、「モノ」がただの「モノ」では、
なくなる瞬間がある、ということを気づかされる。




共通して言えることは、
2つのお店がともに店舗での販売とインターネットでの販売を併用しているが、
インターネットでモノを売る、あるいは買うことがこれだけ身近になった時代に、お店で買うことの意味とは何か、
ということもまた考えるべき問題であると思う。
それにはお店では実際的にモノが見られる、という程度の優位性では、
お店の存在意義を説明できるとは到底思えない。
必要なものは、コンセプトを土台にしつつ、体験やコミュニケーションを通じたお店からの強いメッセージであろう。
メッセージに共感した買い手は、まさしくこのお店で買うべきだという必然性を持って、モノを買うことになるだろう。
店主とのコミュニケーションによって知ることとなった、そのモノの背景にある物語と一緒に。
そしてその買い手はその買い物を通じて、ひとつの態度表明をすることになる。



ないものがあるに変わる、のよき例。
すでに地域にあるもので価値が見直されるべき産物や建物を再発見し、再提示する。
もちろん存在としてはあるが、知らなければないに等しい。
それがその価値の継続につながる。




そもそも、エコロジカルであることにはとても知性的なにおいがする。
少ないもの、最低限のもので暮らす豊かさを完全に自覚できているわけでは決してないけれど、
僕は、そういうにおいにとても弱い。
もちろん消費するということも好きで、物はどんどん増えていくわけだけれど、
トランクひとつにまとまるような、自分が持ち続ける必然性を感じるものだけで生活することに
理想なありようを見てしまう。
だから僕としては、
いかにして、使わなくなったものに新たな息吹を吹き込めるか(リサイクル)
あるいは、ずっと長く使い続けられるものは何か、(ロングライフ)ということにとても興味がある。



文化的なことをビジネスにインストールすることの困難さを思う。
ビジネスで成功した成果の一部を文化的な、あるいは、世の中へのあたらしい提案をすることにあてることはできるかもしれないけれど。
なぜなら、あたらしい提案にすぐにみんなが理解を示し、購入、あるいは来店してくれることは少ない。
それが多かったら、それはそれほどにあたらしい提案ではないし、既存の、わかりやすい提案に過ぎなかった、ということになる。
もちろん、それがわるいわけではない。



従業員にきちんとした給与を支払い、労働環境を整備したうえで、
資本主義のビジネスには乗り切らない哲学や価値観を持ち、表現する
ということを実践するためには、ビジネスの本道の価値で一定の成功をおさめた
投資家による慈善的行動でなければならないのか。



コンセプト(ものの見方、考え方)こそがアートである、からこそD&Dの展示が金沢21世紀美術館にて
行われているのだろう。
http://www.d-department.com/event/event.shtml?id=8328699373174460



このまとまりきらない文章力のなさは、とても大きな問題ではあるが、まずいろいろと書いてみる
ということを今は大切にしていきたい。
逆にこういうので、かすかにでも伝わることがあればそれはそれでとてもうれしい。