読めないなまえはよくない。

読めないなまえはよくない。
実体験をもとに言っているのですよ、僕は。
僕の名前は「辰幸」と書いて、「ヨシユキ」と読ませる。
うん、まさにむりやりに、読ませるのです。
だって、読めっこない。だって「辰」は「タツ」でしょう。
だからみんな何のうたがいもなく、僕を「タツユキ」くん!!なんて呼ぶ。
僕は、「あっ、すみません、それでヨシユキって読むんです。ごめんなさい」


あたらしい学年になって、教科ごとにあたらしい担当の先生が来ると、
きまって、最初に名簿順でなまえを読み上げる。
僕は、それごとに訂正する。それで、ヨシと読むんです、と。
それがくりかえさえる。何度も何度も。


だんだん僕は、タツユキで生きていこうと思ってくる。
別に、ヨシだろうが、タツだろうが、かまいやしないじゃないか。
(ちなみに僕は辰年でもなく、午年なのですが)
僕が呼ばれたってことがわかることが大事なんだから。


もちろん、僕の親は自分でつけたんじゃなくって、長岡あたりにあるホウトクイナリってとこで
つけてもらったのだという。
いや別につけてもらうのはいっこうにかまわないのだけれど、やはり読める字にしてほしかった。
あるいは、完全に当て字だってことがわかって、先生が「あぁ、これはなんて読むんだい??」と
聞いてくれるほうがいい。
読めそで、読めないってのがほんとうにタチがわるいのだ。


こどものなまえは文字のフォルムと、読みの響きと、わずかな意味性で考えたらどうか、と思う。
つまり、うつくしい文字で、心地よい響きで、ポジティブな意味であってほしいのです。
さらに日本的であったらなおのこと望ましい、とも。


最近巡り会ったことば。
「気宇」(キウ)と読む。心のひろいさま、を意味する。
こういうなまえもわるくないことないですか??
「キウちゃん!!」
よんでみた。おおきな違和感はない。
別におとこのこでもおんなのこでもよし。
画数とかはよくわからないし、あんまり興味がないけど…。


というようなことを、ふと意味もなく、2月22日、
ニャン、ニャン、ニャンで「ねこの日」に思うのでした。