おわりは「はじまり」のはじまり

水曜の夜、カフェクレオに行く。
「そうそう、クレオさん8月いっぱいでやめるんだって」
月曜の朝、ノアノアの石橋さんにそれを聞いた。
僕は単純にそれを悲しく思ったし、とりあえずできることは行けるときに行くことだな、と
思ったので早速足を運んだ。
そういうふうに思いながら行ったからかもしれないが、こころなしか店内には一抹のさみしさと
あと1ヶ月とすこしでこの流れが止まってしまうことからくる、今という時間の大切さを思う気持ちがにじんでいた。
午後9時半。
がらんとした店内を指して、「いつもこんなかんじですから」とオーナーシェフの西さん。
本寺小路を中心とする三条の繁華街は軒並みダウントレンドであり、その多くは県央地域に流れている。


シーザーサラダ、イベリコ豚のロースト、ミックスピザ、かきのグリル・・・
シンプルで誠実さあふれる皿が続く。
生ビール、生ビール、ジントニック、白ワイン、赤ワイン・・・
夜が深まっていく。
それに伴って会話も深まっていく。
「決して多くない給料を払えないんだから、ねぇ」
いち食べること好きの自分を納得させつつ、ビジネスとして成り立たせることの難しさ。
自分があんまりほしくないものがみんなのほしいものをだったとき、
それをなんのためらいもなく出せるのがプロなのか、出さないのがプロなのか。


仮定の話をしても仕方がないのだけれど、現状の売上に合わせてスタッフに辞めてもらうことを
選択肢に入れられれば、すぐにお店を閉めなくてもすんだかもしれない。
もちろん彼がそんなことをするわけがない。
問題は以下の2つに絞られている。
カフェクレオに集った人たちでやり続けられるのであれば、やる。
できないのであれば、やめる。
カフェクレオはもはやひとりの人格としてあり、人が腕や足を切ってはただごとでいられないように、
身体を傷つけるのは許せないのである、というかありえないのだろう。
スタッフは手段ではなく目的である、というのはなかなかビジネス書から見つけることのできない知見かもしれないけれど、
そこには彼なりの美学、あるいは生き様がある。


ふと思う。
僕はまだそんなところにまったく至れていない。
だから、冒頭でもいったとおり、できるかぎりカフェクレオに足を運ぼうと思う。
とりあえず、JC07メンバーの懇親会、お店のスタッフ歓迎会、で。
それは、余命を告げられた友人にできることは、できるかぎり顔を見せることしかない、ということに似ている。
ただ、カフェクレオという人格は永い眠りに入るのかもしれないが、西さんをはじめとする優秀なスタッフはそれぞれ違う人格の一部となり
また近い将来、同じ人格に宿るひとりとして巡り会うかもしれないし、僕は心からそれを願いたいと思う。


それぞれの川はいつかまた同じ海に注ぎ、雲となり、雨となり、山を通って川に戻る。
すべて同じ水、と思えば、そこに別れなどないに等しい。