わかった気になることがにぶらせる感覚、について

ひどく蒸し暑い土曜日
夏期実習生がお店にやってきた。
彼女は現秋葉区で馴染み深い地名で言うといわゆる新津ってとこから電車を乗り継いで来るらしい。
早起きして、1時間以上の時間をかけてね。


これから彼女とどれくらいの付き合いになるかわからないけど、これは今日しかない、その瞬間にしかない
そういう一回性の出来事だったことを僕らは意識しない、あるいは忘れてしまう。
そして明日からもまた同じ毎日が続いてく、と思ってしまう。


初めてサロンのなかから見たこのお店は彼女にとってどんなふうに映ってるんだろう?
結構気になったりする。
ちゃんとなかのことを知らない人の印象なんてそんなに気にすることはないよ、と言うかもしれない。
いや、知らないからこそ印象って意味があるんだよ。
だからこそ、わかった気になるって魔物にとりつかれることなしに、そこに流れる空気みたいなのを感じとれそうじゃない。
わかる、というのは一種の安定、というか制約なんだと思う。
次に対してのね。
だから、まだ全然わかっていないだろう彼女の感覚を大切にしたいな、と。


なにはともあれ、往復3時間もかけて来てくれてるんだから、それに見合うおみやげを10日後に持っていって
もらいたいものである。
もちろんそれを用意できるかは僕らにかかっていることなのだけれど。