豊かさの基準をどこにおくか、ということ

まだ梅雨が明けない。
外にパラソル&テーブルセットを出して、もうこっちから夏になった、という既成事実をつくってしまおう
と思っていたのだけれど、やはり降るときは降るわけで、パラソルなんだから、雨が降ったって構わないか、と言われれば、
まぁそうでもないわけで、泣く泣くまたパラソルを室内にしまうことになった。


最近、自治体も人も会社もなんでもかんでも格差が広がった、と言われて久しい。
これは、自治体であれば、税収をふくめた収入を指し、人は年収を、会社は売上高を(むしろ利益額かもしれない)、
それぞれ指すのだろう。
自治体の合併の必要性も企業同士のM&Aも30代負け犬女性の結婚も若干の違いこそあれ、
根底にある思考は、今より金銭的に余裕も持つ、という豊かさの方向に向かっていることは間違いないのではないか。


僕個人としては、お金は必要条件でこそあれ、十分条件ではない、という認識なのだけれど、
村上世彰氏が言う「お金儲けってわるいことっすか?」ということに違和感を感じつつも、みんなが完全に否定しきれない
わだかまりみたいなものを抱えつつ、最終的には、そんな、わるいってこともないけどぉ、と言ってしまっているのではないか、と思う。


こういうことに関して、
内田樹氏は自身のブログ「内田樹の研究室」(http://blog.tatsuru.com/2007/07/24_0925.php)で
「金の全能性」が過大評価され、序列化基準として金以外のものさしがなくなったこと指摘しつつ、
以下のような主張を展開する。

私自身は人間の社会的価値を考量するときに、その人の年収を基準にとる習慣がない。
どれくらい器量が大きいか、どれくらい胆力があるか、どれくらい気づかいが細やかか、
どれくらい想像力が豊かか、どれくらい批評性があるか、どれくらい響きのよい声で話すか、
どれくらい身体の動きがなめらかか・・・そういった無数の基準にもとづいて、私は人間を「格づけ」している。
私がご友誼をたまわっている知友の中には資産数億の人から年収数十万の人までいるが、
私が彼らの人間的価値を評価するときに、年収を勘定に入れたことは一度もない。
私にとって重要なのは、私が彼らから「何を学ぶことができるか」だけだからである。
同じ基準を自分にも当てはめて、以て規矩としている。
人々が人間の価値について、それぞれ自分なりの度量衡をもち、それにもとづいて他者を評価し、自己を律するならば、
格差社会」などというものは存在しなくなるだろう。


僕はこの意見にほぼ全面的に賛成している。
この「人間」のところに「会社」や「自治体」を代入しても、表現としての違和感は少しばかり残るかもしれないが、
その全体が意味するところにおいてほとんど同じ主張として読めるだろう。


会社が「法人」とされていることからも、そこにはそれぞれ固有の人格が存在し、
多様性のある文化という性格を持つことがわかるだろうし、
自治体であっても、直接投票することによって首長を選べるわけだから、自分の住む街はどういう魅力を持ちながら、
どういう性格を持ち、周囲からどういうふうに思われる街としてあるべきか、ということを有権者である僕たちは
首長の選択を通して実現させていくことができるわけだ。
(とはいうものの、これが容易に可能だ、と言えるほどにナイーブではないのだけれどね)


豊かさを考えるときに僕はひとつの問いを思い浮かべる。
新潟と金沢という街を比べてどちらが豊かさを感じる街であるか?
その問いに対して、僕は新潟県民でありながら、まだ、「金沢」としか答えることができないことをとても残念に思っている。
人口や財政規模や東京へのアクセスや空港の規模や港の大きさや高速道路の利便性などなど、
新潟が現状優位であるものはたくさんあるだろう。
これらはある意味多くの県民がその必要性を認識し、同意し、わかりやすい拠点性や利便性を経由した豊かさを
感じることであろう。
しかしながら、僕はそのベクトルのずっと奥に本当の意味での、これからの「豊かさ」をなかなか見いだすことができない。


では、金沢はどうかと言えば、まず象徴的なものが「金沢21世紀美術館」である。
金沢大学附属の小・中学校の跡地である、市の中心地に建設された美術館で、妹島和世西沢立衛(SANNA)が設計した
きわめて先端的、現代的、な建築物として市民に親しまれている。
芝生の上で遊ぶ子供たち、カフェでひと休みするおばさん、ミュージアムショップで買い物をする観光客、
スーパーの袋を脇に置いて、ライブラリーで雑誌をパラパラするおねえさん・・・。
こういった光景やライフスタイルに僕は「豊かさ」の一端を見る。
伝統文化の継承者であり、未来の創造者、担い手である子供たちが温故知新の意識を持ちながら、
未来というものを創造していくうえでこういうものは不可欠の要素であるような気がする。
ここには、10年後、20年後のあり方をイメージしたなかでの「まちづくり」があるのだ。


豊かさとは、今も重要である一方で、未来に開かれていること、がとても大切なのではないか。
今をそれほどまでに深く考えなくてもよく、頭のなかの多くを未来への期待感で埋め尽くすことができたら
こんなに豊かな状況なんてないじゃないか。


いやはや、とりとめのない話をしてしまった。
ふろしきをもっと広げることはできるけれど、自力でたためなくなりそうなので、ここでひと休みするとしよう。




妹島和世+西沢立衛/SANAA 金沢21世紀美術館

妹島和世+西沢立衛/SANAA 金沢21世紀美術館