機能的な使いづらさもあっていいと思う。

ヨーガンレールのババグーリのほうき展に足を運ぶ。
http://www.jurgenlehl.jp/jp/event/080522/index.html
なんだかほうきとかちりとりとかいうそうじ道具って凜として佇んでいる。
色んな機能に応じて色んなそれに沿ったかたちをしていてうつくしい。
掃くっていう行為だけでもこのほうきの種類だけあるんだ、と思うと、
その奥深さに気づかされる。
拭くっていう行為だとはたしてここまでの拭くものってあるんだろうか。
布の生地の分だけあるのか、もしかしたら葉っぱとか木の皮とかそんなのも
入ってくるのかもしれない。


ほうきをディスプレイするってのは売ろうとするからやるのであって、
あくまでも実用品だから使ってナンボ、なんだろうけれど、
美容室にも趣きの異なるほうきをポンポンポンとぶらさげてみた。
これには「掃くって大切な行為ですよね」という意味や
「世界のひとたちがそうじする、あるいは、掃く、という行為をどう捉えているのか」
というその多様性を見ることができる。
もちろんこれ使えないよってものもある。
そもそもそういう価値観が使いやすいものはよし、使いにくいものはまったくもってだめ、という
機能だけをそのものの存在意義として捉えてしまう僕らの価値観に、そうやって切り捨てていいの?
という問題提起をしてくれる。
ホコリひとつなく掃くことよりも、ただ掃き清める、という行為のほうに重きが置かれている
地域だってあるだろう、という想像力を僕らはいつしか退化させてしまうのではないか、という
危機感におそわれる。


でもおそらく多くのひとは「これで掃除するんですかぁ?」と思うのかもしれない。
「いや、ただうつくしいからぶらさげてみました」という返答に納得してくれる方は
ほとんどおられないだろう。


でも僕はとても気に入っているので、それはそれでよいことにしました。