お盆のご褒美として6000分の吉本隆明。

今日大きな段ボールに入って、これが届いた。
どんっ!!

縮尺がわからないと思うけど、縦横30センチ奥行きも15センチを超える。
毎日「ほぼ日」http://www.1101.com/home.htmlを読んでるわけじゃないけど、
たまたまこれを見つけて、予約して、さっき届けられた。
わかる人にはわかると思うけど、「ほぼ日」みたいなとこで、吉本隆明の講演集みたいなものを売る、
というのが好きだ。
そのユルさと堅さのアンバランスさがとてつもなくいい。
本当にいいものを後世に残すために何ができるか、という視点は
糸井重里さんもナガオカケンメイさんも変わらない。
普通に本屋さんが今まで通りのやり方で、吉本隆明講演CDを売る、とか
普通に家具屋さんが今まで通りのやり方で、カリモクのソファを売る、というのは
かなりキツいことになっていて、でもそのよさは確かにあって、その伝わりづらさを乗り越えるためには
どうしたらよいかを必死で考えて、しっかりとそれを具現化し、僕らにその魅力を気づかせてくれる。
こういう役割はとても大切なものだと思う。


CDが50枚以上入っている、とは言え、予想以上の大きさ。
これで5万円。
安くはない。
すべての音声データが入ったDVDのみ(CDはなし)のものもあった。
これは28000円。
およそ半額だ。
そのほとんどをPCで、あるいは、iPodで聞くことを考えれば、十分ではある。
ただあの大きさこそが、もしかしたらCDとして聞くことはないかもしれないけれど、
その存在として、必要なものとして、そこにあるような気がしてきた。


そんなことを思って付属の分厚い本をパラパラとみていたらあとがきで糸井さんが
次のようなことを言っていた。

 こんなにも重々しい、いかにも「値の張る御品」のような体裁の『吉本隆明 五十度の講演』を、
お届けするのには少しだけですが、逡巡もありました。
 ほんとうは、軽くて薄くて、容れ物は捨ててしまえるようなものにして、同じ内容のものを企画できたのです。
 しかし、悪戯ごころといわれても仕方がないような思いつきのうちに、このような意匠と仕様でお届けすることになりました。
確かに講演内容を聴くためには音声データだけを配信すればよいのですが、それじゃあ納まらない気持ちがあったのです。
吉本隆明という人の、どちらかと言えば、不得手であったという、講演という作品を、自分のものにするには、
それ相応の容れ物、額縁なり桐の箱なりがないと、気持ちの釣り合いがとれないように思えたのです。
 それは吉本隆明さん本人なら笑うかもしれないような趣味の範疇のことなのでしょうが、ぼくはこの講演の
記録を預かった者として、「勿体ぶりたかった」のです。
 

それに続けて、いずれ、すべての「吉本隆明講演アーカイブ」がフリーソフト化するという計画の実現に
近づいている、とのこと。
僕らが買うことでいずれタダになる。タダになったらみんながこれを共有できる。(みんな聴くかな?)


そういう、いずれ(5年後?10年後?50年後?)の話って大好き。
今をまともに考えられないやつに「いずれ」を考える資格なんてないのかもしれないけど。
それは無計画で、無責任な、「いずれね」とか「いつかね」ではなくて、
大きな目的をもった、それでいて愉快な「いずれ」であればいいように思うけど、いかが?


それにしても60分が100回分も聞けるかな。
小林秀雄が講演で『本居宣長』という自著について語るときに、1回読んでもなかなか
わからないから、何回も読める。だからお得ですよ、という主旨のことを言って、
会場を沸かせていたことを思い出した。
この講演も1回聴いておいそれと理解できるものではなさそうだから、同じことが言えるのかもしれない。


そうやってまた自分に散在の言い訳して、それを正当化しようとしている。
本当に困ったものである。