夏休み帳を書かなくっちゃ

8月31日。
明日から新学期が始まる、という日。
つまり明日までにやるべき宿題をやらなければいけない、その日。
という認識は気づかぬうちに終わり、8月の最終日という意識しかなくなって久しい。


そんなふうに9月はなんてことなくやってくるのだろう。
特別秋めいてもいない、かと言って真夏はとうに過ぎたような、
暦の数字と稲穂の傾きで時が過ぎていることがそれとなく気づかされる、ただそれだけ。


学校というルールのなかで、とやかく言いながらも、その枠を大きくはみだすことなく、
過ごしていた日々が懐かしい。
ほどよいルールは僕たちを心地よくしてくれる。
完全なる自由は僕たちを決して自由にはしてくれない。
きっと自分でルールをつくってしまうだろう。
それをモラルと呼ぶのか、自己意識と呼ぶのか、なんと呼ぶのかはよくわからないけど。


ちっぽけな集団ではあってもルールをつくる側にいると、
心地よい制約をつくるのはむずかしいことに気づく。


そんな教訓めいたことを書く気などなかったのだけれど、迷い道をくねくねし過ぎた。


そうだ、あまりに書いていなかったから、
ブログが書けないなぁ、ということを書く気だったのだ。


いっそのこと「ブログを書く」ってことが、
夏休み帳みたいな宿題だったらよかったのに、ということを。
2週間も言い訳して書かなかったから、僕は8月31日だということを理由にして、書かなきゃ、と強く思ったし、
誰かのを写さしてもらってでも書かなきゃ、とも思ったくらい。


たぶんそういうことがありなときもある気がしたのだ。



今シャンプー練習を3回連続やったけど、全部ギリギリタイムに入らなかった。
ありえないことだけど、完璧なシャンプーをしたいと思った。
お客様に合うか合わないかなんてことを吹き飛ばしちゃうシャンプー。
もちろんできないからストレスがたまる。
そういうムカムカを腹に抱えながら、こうして今度はブログを書く。


そんなムカムカとともに宿題と向かい合っている子供たちはどのくらいいるのだろう。
そういうことを想像するだけで、自分だけじゃないんだ、と思えるだけで、
結構救われたココチがしてくる。


半袖で外に出てみたら暑くもなく寒くもないちょうどよさがそこにあった。
そういうちょうどよさこそ完璧さなのかな、とふと思ったそんな8月31日。